2014年3月18日火曜日

私のアイドル恋愛観

 対岸の火事とはいえ、また色々と議論が再燃しているので、今のところ「このブログの主旨」とは無関係だけど、一応、ドルオタ界の末端で生きる者として、私なりの見解をこの機会にまとめておこう。
 はっきり言ってしまえば、私は「恋愛推奨派」である。女の子は、恋をすることで美しくなる。そんなことは、郷ひろみの時代からの常識である。私はもともと二次元寄りのオタクだが、漫画やアニメの女の子を好きになる時は、大抵、「その娘が好きな男性キャラ」とセットで好きになることが多い。要は私は「好きな男の子との恋に一生懸命になる女の子」が好きなのだ。その趣向は、三次元においても変わらない。
 確かに、建前としての「恋愛禁止」という言葉はあるが、実際に秋元康が書いたA5thの「恋愛禁止条例」とは「恋愛禁止条例なんて、あっても意味ないよ」という内容の歌詞である。こんな歌を歌わせている時点で、本気で守らせるつもりがあるとは思えないし、そもそも自分の奥さんのことを考えたら、そんな理論を押し付けられる筈がないし、「本気でアイドルをやってたら、恋愛なんてしてる暇はない」という最近の主張にも、全く説得力はない(実際には過去のトップアイドル達が、裏では恋愛とアイドルを両立していたことは、今では誰でも知ってる)。
 ただ、「じゃあ、彼氏の存在をオープンにして良いのか?」と言われたら、私は否と答える。それは、現実問題として「恋愛禁止派」の人達がいるから、という理由だけでなく、私自身も、具体的に誰と付き合っているのか、ということまでは公にしてほしくないと思っている。なぜならば、それは「自分の好きなアイドルの交際相手の男性」が、「自分の気に入らない人物」かもしれないからである。
 本音を言わせてもらえば、私はちぃずには、日々の活動で疲れた心を癒してくれるような「ステキな彼氏」がいてくれればいいな、と思っている。だが、問題はその相手である。たとえば『I’s』の瀬戸一貴のような「純朴で誠実そうな少年」や、『ガラスの仮面』の里美茂のような「さわやか好印象のイケメン」と付き合っているなら、私も素直に応援したいのだが、もし「露骨に性悪そうなにーちゃん」と一緒に映っているプリクラが流出したら、さすがに私もちょっと嫌な気分になる(そして残念ながら、性悪な男に惹かれるアイドルも決して少なくないことは、過去の芸能史が実証している)。
 無論、一見すると「性悪そうな男」でも、実際には「付き合ってる相手にしか分からない良さ」があるのだろうし、何より、ちぃず自身が選んだ相手なら、どんな男でも認めてやりたいとも思う。だが、現実問題として、やっぱり人それぞれに好き嫌いがあるし、私がどうしても生理的に受け付けないタイプの男性も、確かにいる。恋愛するのは大いに結構だけど、そういう男性とは付き合ってほしくない、という「身勝手な小舅根性」が、私の中には確かに存在するのである。
 だから、私は恋愛禁止派の人達の感性を全面的に否定するつもりはない。アイドルに対して「自分以外の男と付き合ってほしくない」と考えるのも、「自分の気に入った男以外とは付き合ってほしくない」と考えるのも、「気持ち悪さ」という点では大差ないと思うし、どちらも同じくらい「筋違いな考え」だと思う。実際のところ、押尾学レベルの問題児でもない限りは「ちぃずが選んだ相手なのだから、きっとイイ奴なんだろう」と信じるつもりではいるが、それでも「絶対」と言い切れる自信はない。
 そう考えると、やはり、アイドルは自分のプライベートを晒すべきではないと思う。誰と付き合うのも自由だが、相手によっては、私のような「恋愛推奨派」の人間に対しても悪印象を与えてしまう可能性がある以上、念には念を入れて「全力で隠す」のはアイドルとしての義務だろう。言わばそれは「ふなっしーの中の人」が表に出てきてはならないのと同じである。そして、出来れば週刊誌にも、ふなっしーの中身を暴こうとするのと同レベルの「無粋な報道」は、もうやめてほしいと思う。
 そして、もし発覚してしまった時に我々ファンが取るべき行動は、「女性として美しくなるために必要な行為」である恋愛をしていたアイドルを叩くのではなく、そのことを大々的に報道して部数を稼ごうとする週刊誌を叩くことだと私は思う。彼等がやっている行為は、アイドルのトイレを盗撮して「アイドルなのにトイレに行くには、ファンへの裏切り行為」などと報道するのと同じである。ごく一部の特殊な性癖の人以外は、誰もアイドルのトイレ画像など見たくない。しかし、「アイドルはトイレに行かない」と本気で信じている人など(おそらく)誰もいない。AKBにおける「恋愛禁止」とは、あくまでその程度の「ネタ」だと割り切るべきではなかろうか。
 確かに、昔は恋愛発覚を理由にクビになったメンバーもいる。私の最初の推しだった増田有華も(そもそも辞めるタイミングを見計らっていた時期ではあったが)恋愛関係は否定しながらも「お泊り写真」を理由に活動を辞退した。一昨年の八月騒動のことを鮮明に覚えているHKTファンの方々も多いだろう。だが、もういい加減に、そんな悪習は辞めるべきではなかろうか。
 たとえば、江戸時代は「不倫した妻(とその相手)を殺す権利」が夫には認められていたらしい。しかし、だからといって「昔の不倫妻は殺されていたのに、今は生存権が認められるのでは、昔殺された人達が可哀想だから、今の不倫妻達も殺すべきだ」と主張するのは、どう考えてもおかしな話だろう。確かに、昔の悪法で断罪された人達は可哀想だが、だからと言って、その悪法をいつまでも続けるべきではない。そして、そんなことでいつまでも騒ぎ続ける人達がいるからこそ、週刊誌もいつまでもそんな「無粋な報道」を続けるのである。
 「アイドルが恋愛している姿」を見たくないと思うなら、「報道されても騒がないこと」が一番である。ネット上で怪情報を流している人達に対しても、一々反応するから話が大きくなる。アイドルが男と二人で歩いている写真が出たところで、それは「アイドルがトイレから出てくる画像」と同レベルのものだと考えれば、別に腹も立たないだろう。むしろ、「トイレから出てくる写真」を理由にメンバーを解雇していた昔の運営がクレイジーだったのだという常識的な見解を、素直に受け入れるべきではなかろうか。
 少なくとも、去年の総選挙で博多の支配人が一位になった時点で、もはや「民意」が「恋愛容認」へと転じたことは明らかである。私も、建前(ネタ)としての「恋愛禁止条例」自体を廃止すべきとまでは言わないし、恋愛していることは極力隠すべきだとは思う。しかし、法律が変わらなくても、社会状況や国民意識の変化に応じて法解釈が変わるのと同様に、建前(ネタ)としての「恋愛禁止条例」は残しつつも、今の民意に合わせた「より現実的な裁定」を、今後の運営には期待していきたい。少なくとも、「学校での排泄を囃し立てる小学生」と同レベルの感性の報道・リークを繰り返す人々に振り回されることで、少女達の未来が閉ざされるような世界は、もう私は見たくない。

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