2016年8月9日火曜日

アイドルのアイデンティティ

 すっかり夏ですね。安武です。先月末の名古屋の握手会には行けませんでした。来月は行ってもいいかな、と思っていたら、サークル方面での用事がモロに被ってしまいました。うん、まぁ、もうちょっと気持ちの整理がつくまで、現場からは遠ざかっておけという、天の啓示ですね、これは(と自分に言い訳)。
 と、まぁ、既にオタ卒気味の私が今更語るのも変な話なのですが、前々から自分の中でなんとなく考えていたことに関して、最近、ようやく一つの「分かり易い答え」が出せたので、備忘録的に書いてみようかと。彼女自身に関することではなく、アイドルに関する一般論的な内容なので、別に今更私が言い出さなくても、もう同じようなことを言ってる人達は沢山いるのでは無いかと思うのですが、それでも、何も書かずにいる現状よりはマシかな、ということで。
 ちなみに、彼女自身の近況については、大学関連の記事や広告が色々とネット上に流れてきてはいますが、今の彼女の立場上、ネタにして良いものかどうか微妙なところだと思うので、記事の題材にするのは当面は控えておきます。でもまぁ、とりあえず、「元気そうで何より」と思っていることだけは事実、はい。



 以前、田中みくりんがどこかの番組で「アイドルって、一番大変なお仕事だと思うのよね」と語っていた。この時は、「なんかまた微妙に叩かれそうなコトを言い出したな、この子は」と思っていたのだが、今にして思えば、この発言の中に、ずっと前から私が追い求めていた「答え」のヒントはあったのかもしれない。
 彼女の論拠は、アイドルの仕事の多様性にある。歌もダンスもグラビアもドラマもバラエティも何でもこなさなければならない。だから大変だ、ということらしい。とはいえ、芸能界のボーダーレス化が進んだ今、それは歌手でもモデルでも女優でも芸人でも同様である。ある意味、ほぼすべてのテレビタレントがマルチタレントであることを要求される時代でもある以上、別にアイドルだけが大変という訳ではないだろう。
 ただ、他のタレントと異なるのは、「アイドル」というアイデンティティそのものの曖昧さである。歌手やモデルや女優や芸人には、それぞれの「本業」がある。故に「本業以外の分野」における仕事に対しては、そこまで高い水準を求められる訳ではない。「テレビタレント」と呼ばれる職種に関しては曖昧な側面もあるが、基本的には「バラエティでの面白トーク」が本業だというコンセンサスが成立しているのではなかろうか。
 これに対して、「アイドルの本業って、何?」と問われた際の答えは多岐にわたる。歌もダンスもグラビアもドラマもバラエティも、ある意味で全てが本業であり、同時に全てが副業でもある。それ故に「アイドルなんだから、歌えるのは当然」と評価する人もいれば、「アイドルなんだから、別に歌は上手くなくてもいい」という考えの人もいるし、「アイドルなんだから、歌が上手い筈がない」と決めつける人もいる。中には、「アイドルなんだから、むしろ歌が下手な方が可愛げがある」という趣向の人もいるだろう。何が必須科目で、何が選択科目で、何が履修不可科目なのかもよく分からない世界なのである。
 だが、そんな曖昧な評価基準しかない世界だからこそ「アイドル界の中でしか生み出せない独特の魅力」が存在する。何かが出来ることで評価されることがある一方で、逆に何かが出来ないことが人気に繋がることもある。そんな「曖昧なルールの世界」の中で、各自がそれぞれの「出来る個性」と「出来ない個性」を織り交ぜながら、自分の独自の「ファン層」を確立させていく。そして「正解」が存在しないからこそ、それぞれが「唯一無二の個性」を発揮できる。そのあまりにも無秩序な多様性こそがアイドル界の魅力なのだが、その構造的魅力を理解出来ない人達の目には「中途半端な出来損ない集団のお遊戯会」としか映らない。
 故に、自分の推しメンの魅力を語ろうとして「歌が上手い」「ダンスが凄い」「めっちゃ美人」などと熱弁しても、「もっと上手い歌手なんて、いくらでもいるよ」とか「本業のダンサーに比べたらカスだろ」とか「この雑誌のモデルの子の方が綺麗じゃん」とか、そう言った形で冷水を浴びせてくる人々は沢山いる。こういう人達の主張がいかに的外れか、ということを理解してもらうための説明として、たとえばこう返してみるのはどうだろう?

「それは『このイチゴ、糖度がすっごく高いんですよ』という説明に対して、『蜂蜜の方が糖度高いだろ』と茶々入れるのと同じようなものですよ」

 イチゴは、甘さだけが魅力なのではない。甘さだけを求めるなら、角砂糖を買えば良いだけの話である。酸味、歯ごたえ、瑞々しさ、そういった様々な複合的な魅力が、イチゴという果物には凝縮しているのであって、「糖度」はその中の一要素に過ぎない。故に、その中で一番わかりやすい魅力の指標として「糖度」を挙げたとしても、別にそれだけが魅力だと思っている訳ではないことは誰でも分かるであろうに、そこに「明らかに別ジャンルの食べ物の糖度」を引き合いに出したところで、それはそもそも「反論」として成立していないのである。
 無論、蜂蜜には蜂蜜の魅力があるし、それは他のどの食べ物でも同じである。そして、人それぞれに好みがある以上、どれだけ熱弁したところで、嫌いな人に無理矢理食べさせる訳にはいかない。なので、上記のような冷水を以って反論した気になってる人達は、そもそもアイドルに興味がないか、あるいは最初から煽ってからかうことだけが目的の人達なのだから、そんな人達に対して、わざわざその論理的破綻を説明する行為そのものが不毛と言えば不毛である。とはいえ、少なくとも自分自身がこのことを理解しておけば、こうした周囲の雑音に心を乱されることも無くなるだろう。
 ただ、「周囲の雑音」への対応はそれで良いとしても、それとは別次元で、やはり、「なぜ自分はこのメンバーのことが好きなんだろう?」という疑念に対して、出来れば自分自身でも納得出来る形で言語化して納得したい、という欲求は、それぞれのファンの中にあるのではなかろうか(そうでもないのかな?)。
 私は、歌が上手いメンバーが好きだ。特に、綺麗な低音の少女の歌声が大好きだ。しかし、歌が上手いだけの少女は、世の中に沢山いる。歌って踊れる少女も、いくらでもいるだろう。歌って踊れて真面目で赤面症で小柄でショートカットでスポーツが得意でイチゴが好きな少女も、多分、日本中探せば他にも何人かはいると思う。だが、そういった一つ一つのパーツ的な特徴を組み合わせるだけで、一人の人間の魅力が形成される訳ではない。だから、私も「どこが好き?」と聞かれたら「声が好き」と即答するが、「他にも声が綺麗なメンバーはいるのでは?」と言われたら「そうだね」と返して、それで会話を終わらせるしかない。他の特徴を付け足したところで、上記の通り「他にもいるかもしれない」と言われたら、やっぱり「そうだね」としか返せないのである。
 で、この状況って、結局のところ、やっぱり「愛」としか言いようがないのかな、とも思えてきた。それは必ずしも擬似恋愛という意味だけでなく、友愛、家族愛、師弟愛、ありとあらゆる「愛」を語る上で、それを論理的な比較に基づいて客観的に説明しようとしたところで、その「愛」を理解出来ない人々に理解させることは不可能なのである。明確な尺度の無いアイドル界の中で、一人のメンバーを特別視して、金と時間と労力を割いて応援し続けることを合理的に説明しようとしても、結局のところ最終的には「愛」という名のブラックボックスに還元して説明せざるをえない。それが何の説明にもなっていないとしても、やはりそれ以外に万人を納得させられる言葉はないのである。
 そこまで考えた上で、最初の問いである「アイドルの本業とは何か?」「アイドルのアイデンティティとは何か?」という問いに立ち返って考えてみると、結局のところは「愛されること」という陳腐な回答が、一番の正解なのかもしれない。歌唱メンも、ダンスメンも、ヴィジュアル班も、バラエティ班も、全てのジャンルのアイドルにとって、唯一にして絶対の尺度は「愛されること」。それは他の芸能人やタレントでも同じかもしれないが、明確な「本業」が不在まま顧客の心を掴むことを生業とするアイドルには、「愛されること」以外に共有出来るアイデンティティが存在しない。その点が、明らかに他の芸能人との違いなのである。歌唱力も、パフォーマンスも、トークも、センスも、ヴィジュアルも、それ自体は「愛されるための手段の一つ」でしかない。そして、愛に明確な正解がないからこそ、それぞれのスタイルで「愛される自分」を演出し続けなければならない。その多元的魅力こそが、アイドルのアイドルたる所以なのである。

 なんか、長々と語った割には、あんまり面白味のない形で収束してしまったけど、とりあえず、これが今の私の中の暫定的な結論です。この話を踏まえた上で、私が今後、いずれ彼女が再び芸能界に戻って来た時に、どういう姿勢で臨むべきなのか、ということについても語ろうと思ったのだけど、まだ私の中でその辺りの方向性が微妙に色々とブレているので、それについてはいずれまたもう少し気持ちが落ち着いてから書きます。