2015年2月28日土曜日

5th選抜発表後の各方面の反応を見ながら、なぜ「選抜に入ってほしい」と考える人が多いのか、僕なりに何時間か考えてみた上での、やや長ったらしい結論のようなもの

 正直、これは前々からずっと疑問に思っていたことである。「推しが選抜に入ってほしい」と考える人達はそれを「自明のこと」と考える傾向が強いようだが、私はずっと前から、なぜ彼等がそこに疑念を抱かないのかが理解出来なかった。
 私としては、別にちぃずが選抜に入るのが嫌だと言ってる訳ではない。入るなら入ってくれて構わない。ただ、入ることには「メリット」と「デメリット」があると私は考えているのだが、上述の人々の中には「選抜に入ることによるデメリット」など存在しないか、もしくは考慮にすら値しない程度のこととしか考えていないと思しき意見も頻繁に見かける。どうにも私にはその思考が理解出来ないのである(そして、上記の人々は「なぜ選抜に入るべきなのか?」という点について、それが当たり前だと考えているせいか、殆ど説明してくれない)。
 とりあえず、単純に考えて、選抜に入ることに付随する「直接的なメリットとデメリット」をまとめると、以下のような点が挙げられると思う(給料に関しては、実際の金額が分からないので今回は除外)。

メリット
・CDの表題曲に参加出来る
・メディア露出が増える
・全国握手会や大型コンサートにほぼ常に参加出来る

デメリット
・劇場公演の出演機会が減る

 正直なところ、在宅DMM派の私にとっては、このメリットとデメリットを比べた場合、どちらの方が大きいとも言い切れない。無論、これは人それぞれの感性・思想によって答えが変わってくるのは当然だと思うのだが、まず最初に、なぜ私がそう思うのか、という点について説明しておこう。
 表題曲に関しては、確かにCDに収録されるのは選抜メンバーによるバージョンだけだが、実際には非選抜メンバーによるバージョンも、劇場公演で何度も披露してくれる。それどころか、もしかしたら選抜メンバーよりも披露する機会は多いかもしれない。つまり、「自分の推しが表題曲に参加する機会」は、実は非選抜でも十分すぎるほどに存在するのであり、実質的には「MVに映るか否か」程度の違いでしかない。そして、私は基本的に「高度に編集されたMV」よりも「ライブ映像」の方が好きなので、この点については、選抜に入ることに特に大きな価値は感じられない。
 次に、メディア露出についてであるが、いくら増えたところで、歌番組に映るのは数分程度であり、冠番組での出番を合計したところで、一週間の間のテレビでの出番は、一回分の劇場公演の出番にも満たないだろう。雑誌などへの出演にしても、正直、グラビアなどにあまり興味がない私としては、その撮影のために劇場公演が一回消えることの損失の方が大きく感じる。要は、DMMでじっくり楽しめる機会があるのに、それを捨ててまで外仕事に出ることに、私は魅力を感じられないのである。
 一方、全握とコンサートについては、確かに一定のメリットがあると思う。特に、個握が博多と関東だけになってしまった今、遠征しなくても生で推しを見ることが出来る機会が得られるのは嬉しい(実際、先日のセンチュリーコンは、非常に楽しかった)。ただ、コンサートの裏で非選抜メンバーによるパジャドラやってくれるなら、別にそれでもいいかな、という気もする。少なくとも、「コンサート出演」によって、「劇場出演」の回数が一回減るというデメリットがあるという現実からは目を背けるべきではなかろう。

 その上で、それでもなぜ「選抜に入るべき」と考える人々が多いのかと考えた場合、以下のような理由が存在するのではないかと思う。

1、劇場以外での推しメンの姿も見たい
2、直接触れ合えるを増やしたい
3、推しメンの活動の記録を「形」として残したい
4、外仕事を増やすことで知名度を上げたい

 とりあえず、「1」「2」「3」に関しては、分からなくもない。確かに、テレビに出て色々な芸能人と絡むことで、「毎回ほぼ同じメンバーの劇場公演とはまた違った楽しみ」が得られる側面もあるし、大型コンでユニットシャッフルに参加出来るのも確かに魅力である。また、個偓だけでなく全偓にも参加してくれた方が、より推しメンと触れ合える機会も増えるだろう(私も、早く仮装48のお礼を言いに行きたい)。そして、CDにしろDVDにしろ「アンダーの活動記録」は「形」として残してもらえないので、その意味でも選抜としてCDに参加してほしいという気持ちは理解出来る。だから、これらを理由に「選抜に入ることのメリットの方が大きい」と主張するなら、それはそれで特に反論はしない(私はそれでも、デメリットと比べてトントンくらいだと思うのだが、これは各個人の価値観の問題である以上、言っても仕方ない)。
 ただ、「知名度を上げること」については、それほどこだわる必要があるのか、少々疑問である。確かに、地上波の番組にろくに映らない現状を考えると、テレビ出演によって「現時点での知名度」を上げることには(「HKT内での序列」を上げるという目的を果たす上では)一定の価値があるだろう。コンサートにしても、全握にしても、新規のファンを増やす絶好の機会であることは、私も認めている。
 問題は、それが「劇場公演の出演回数」を減らしてまで増やすべき機会なのかどうか、という点である。正直なところ、私の中では、ちぃずが48G内での地位を上げることよりも、彼女が芸能界で歌手として末長く活動し続けてくれることの方が、より重要な案件である。そのためには、選抜に入って中途半端なメディア仕事を増やすことと、劇場で歌い続ける機会を維持することを比べた時に、無条件で前者の方が望ましいとは言えないように思えるのである。
 在籍中に大手事務所へ移籍することが慣習化していた昔の本店ならともかく、現在の地方支店のメンバーが卒業後に活躍出来るかどうかを語る上では、在籍中に選抜に入っていたかどうかは殆ど関係ない。
 たとえば、(おそらく支店卒業組で唯一の)「卒業後のメジャーデビュー」を果たした松下ゆいみんは、チームS全員参加だった「強き者よ」以外では一度も選抜に入っていない。他にも、せーら、モコちゃん、(今春卒業予定の)みえぴーなど、一度も選抜に入れなかったメンバーでも、自力で(卒業直前期に)芸能事務所との契約を勝ち取ったメンバーはSKEには沢山いる。HKTにおいても、ちぃず以上に干されていたあべっこりーが、卒業後にモデルデビューを果たしたことは記憶に新しい。
 一方で、茉夏やくーみんのように、選抜常連だったのに(48G内で燃え尽きてしまって?)あっさりと引退してしまったメンバーも少なくない。無論、あくまでこれは「現時点での話」であって、彼女達が今後再デビューする可能性も全く無い訳ではないが、少なくとも今の時点で明らかになっているこの現実に照らし合わせて考えれば、選抜に入ることが将来的にプラスになるとは限らないことは明白である。
 確かに、中には、卒業前にメディア露出しておいた方が生き残れるタイプのメンバーもいる。特に、歌やダンスよりもトーク力に長けたメンバーであれば、バラエティーで他の芸能人にどう絡むか、という技術を磨いておくことは重要だろう。だから、選抜枠にはそういうタイプの「メディア向きのメンバー」を入れた上で、歌やダンスで生き残っていきたいメンバーは、ひたすら劇場で場数を踏んだ方が本人のためになる、と私は考えている。
 無論、卒業後の仕事の幅を広げるという意味で、ちぃずのようなタイプのメンバーがバラエティー経験を積んでおくことも決して無駄ではないが、私は彼女には、栄枯盛衰の激しいテレビ業界で生き残ることに執着するよりも、インディーズでもいいから、歳をとっても主婦業の傍らに地道に音楽活動を続けるような息の長い芸能人になってほしい。だから、少人数の客を相手にパフォーマンスする貴重な機会である劇場公演の回数が減り、外仕事が増えることが(悪いとは言わないが)「無条件に良いこと」とは私には思えないのである。

 しかし、だからと言って「HKT内の序列なんてどうでもいい」とは言えない。あまりにも序列が下がりすぎると、今度は劇場公演の機会すらも得られなくなってしまう。実際、Party公演の頃は「スカひら5」に入っていたちぃずも、青春ガールズの初日公演ではユニットを貰えない位置にまで下げられてしまった。これでは、彼女の持ち味である「歌」や「ダンス」を鍛えることも出来ない。
 故に、彼女の序列を少しでも上げるため、私も彼女のグッズを買い、ロッテのお菓子を食べ、ラビリンスに参加し、個偓にも(名古屋開催があれば)足を運び、総選挙があれば投票する。資本主義社会で芸能人として生き残るために、「梅本泉のために金を使うファンはいる」ということをアピールするための努力は私も惜しまない。このブログも「ネット上には、ここまで真剣に梅本泉を応援している人がいるんだぞ!」ということを運営にアピールするための活動の一環である(効果があるかどうかは知らないけど)。ただ、私の中ではそれは「劇場公演でちぃずにいいポジションを与えてもらうため」であって、「彼女を選抜に入れるため」ではないのである。

 だから、私は次回以降の選抜発表の報道においても、彼女が入っているかどうかについては、特に深く言及する気はない。率直に言ってしまえば、それは「ちぃず推し」の身としては「興味がないから」である。しかし、「HKT推し」の身としては、どんなメンバーが選抜に選ばられるのかには(HKT全体としての戦略を考えるという意味で)興味がある。なので、昨日のような中途半端な内容の記事を書き連ねられることもあるが、それ以上語るつもりはない。
 たとえるならば、私の中では「選抜仕事」と「劇場公演」は、「週刊少年マガジン」と「月刊少年マガジンor別冊少年マガジン」くらいの差でしかない。発行部数(人の目に触れる数)は前者の方が多いだろうが、後者の中にもヒット作は沢山ある。『AKB49』よりも『修羅の門』や『進撃の巨人』が格下だと考える人は少ないだろう。後者は前者ほど大衆化されていない存在だからこそ、より玄人受けするハイレベルな作品(パフォーマンス)を残すことも出来る。稀に『リアルアカウント』のように、後者から前者へと移籍する例もあるが、移籍しなかった作品がそれよりも格下という訳でもない。
 無論、選抜メンバーは選抜メンバーで、「HKTの新規顧客を増やす」という重要な役割を担っているのは事実であり、その価値を貶めるつもりは毛頭ない。だが、既にこの世界にどっぷりハマっている者としては、その役割の担い手の中に推しメンが入ってほしいとは思わない。それは「新規顧客獲得」のために必要な技術を持ったメンバーが担当すればいいのである。それが適材適所というものであろう。
 48Gとは「芸能人になるための踏み台」である。それはAKB発足当初から一貫して変わらぬ根本的なコンセプトであり、皆が皆、それぞれに「自分の目指すべき芸能人像」に向かって活動している(筈である)。だから、48内でどのポジションにいようとも、最終的に自分にとって必要な技術を学ぶことは出来る。学生時代に生徒会長だったか、不良だったか、目立たない生徒だったか、などということは、卒業後の人生においては殆ど関係ない。必要以上にスクールカーストに囚われずに、自分のペースで自分を磨いていけば良いのである。
 その意味で、「選抜に入ること」もまた、自分を磨く上での一つの機会にはなるだろう。しかし、それはあくまでも「自分を磨くための『手段』の一つ」であって、他の手段で自分を磨くことも出来るし、ましてや選抜に入ること自体が「目的(目標)」と思うようになってしまっては、完全に本末転倒である。「選抜に入ること」と「芸能人として必要な素養を身につけること」が決して直結する訳ではないという(過去の先達が示してきた)現実を直視した上で、これから先も自分のペースで自分を磨き続けてくれればいい。それが、「芸能人養成機関としてのHKT48」に所属する者としての、本来あるべき姿なのだから。

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